第2回ノミネート 2010

No.4  兼行栄子

”勇気と行動のひと 〜夢は叶う〜”

現在の職業:
NPO法人愛逢理事 ホームホスピス愛逢の家管理者

推薦文:
私がナースオブイヤーの話を聴いたとき、すっと数名の人々の顔が浮かびました。中でも「兼行さんがいい」と思いました。思いましたが、彼女の活動を折に触れて知ってはいたものの、実のところ深いところまでは知らなかったのです。今回私は真っ白な心で彼女の話を聴き、やはり間違いないと確信したのでお伝えしたいと思います。

1951年長野県に生まれた兼行さんは、京都の学校に進学し看護婦として兵庫県尼崎市の小さな診療所に勤めます。その頃は今のような訪問看護はなかったのですが、地域医療がしたいという思いから風呂桶を持って入浴介助をするなど、報酬のない看護を実践していました。その後結婚。育児のため現場を離れますが、地域のお年寄りを対象にしたアンケートを眼にし、主婦の方たちのボランティアグループ、くらしの助け合いの会《愛逢くらぶ》を立ち上げます。

参加者を集めるのに一軒一軒の家を回り、参加してくれるよう声をかけていったそうです。今でこそ、情報満載、いつでもインターネットや携帯電話で繋がることができますが、何もない時代、まさに足と心で人を動かしていったといえます。愛逢くらぶでは、お年寄りを招いての会食会から始め、その後配食サービス、移送サービスへと広がっていきました。

愛逢くらぶで約10年間コーディネーターとして活動をし、兼行さんのなかに「最期は畳の上で」の手伝いをしたいという思いがうまれます。そして訪問看護師としての勉強を始め、ケアマネージャの資格も取得しましたが

在宅というけれど、家に帰りたいけど帰れない人はどうするの?
核家族や単身者、高齢介護の人は増え、これからどうするんだろう
「最期は畳の上で」を実現するにはどうしたらいいのー?
の疑問の声があがりました。

そこで今度は大阪の淀川キリスト教病院に向かいました。

なんでもいいからホスピスに入れませんか?どうしたら入れますか?と。そこで日本看護協会主催の緩和ケアナース養成研修の話を聴き、申し込みます。またいろんな方向をも探し、日本ホスピス在宅研究会で事務局をしてくれるボランティアを探していると言われ実践。その理事長の推薦で研修にも参加でき、その後その方が立ち上げた朝日診療所はやしやまクリニック希望の家で、初めて病棟勤務しました。

私と兼行さんは、この研修で一緒。そしてまた偶然にもはやしやまクリニックでも一緒になりました。お姉さんとお母さんの間 程の年齢差(微妙です)にも関わらず、遠方から通勤し、同じように夜勤の2交代も行っていました。このバイタリティーはどこからくるのか?!と思うほどフットワークも軽く、かつ穏やかで優しさがありました。私が心ひかれ共感しているのは、看護師としてではなく、ひとりの人としての振る舞いでした。

看護師は常に、知識、技術、判断を必要とされ、頭で考えることが多いようです。それをいい悪いという事ではなく、今まさに死と向き合っている人を前にしたとき、何よりもハートが重要。人としてハートを大きく開き真摯に向き合う。兼行さんの姿勢を、私は尊敬しています。

兼行さんはご自身のことを「そのまま(にしか)受けられないの。言葉の裏にあるものを汲み取るのが下手」「思ったことはすぐ口にしてしまうの。直球なのよね」とおっしゃいました。それはなにより素直で裏表のない兼行さんの素敵なところだと思います。

そして兼行さんがターミナルケアで得たものは

特別なものはない。寄り添うことができるなら私にもできる

でした。知識も技術も充分ではないがやっていけると、2年の勤務の後NPO法人愛逢に戻りました。そして昨年、仲間と共にホームホスピス愛逢の家を立ち上げました。(詳細はホームページをご参照くださいませ)

これから
@「最期は畳の上で」の実現化
A病院死が増えていることから、看取り文化の継承
B死を特別なものとしてではなく、体験する場としての教育活動
そして
これらのことが日本全国に広がって欲しいという目標があるそうです。その思いが、大きな大きな力となって、地域を動かしたように、県を動かし、そして日本を動かしていくと私も信じています。

推薦文ですが、兼行さんを知ることができて私はとてもうれしかったです。恐れずに自分の信念に従って進むと、その思いにたくさんの人が共感、協力して実現するという勇気ももらいました。この機会をありがとうございました。
読んでくださった方にも感謝します。

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